合唱界への新しい提言

三善 晃

ここに掲載する「合唱界への新しい提言」は、Tokyo Cantat ’97 の「オープニング・セレモニー&コンサート~三善晃・合唱作品の現在(いま)~」(1997年5月11日)の中で三善晃氏がお話しになった内容を文章化したものです。
Tokyo Cantat ’97は私たち合唱人集団「音楽樹」が主催団体となって初めて開催したカンタートでした。以来、私たちはこの「提言」を活動の指針として、Tokyo Cantat やCoro Festa 等のイベントを企画し開催してきました。
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 21世紀の合唱を考える会 合唱人集団「音楽樹」が発足してTokyo Cantat というかなり大きなプロジェクトが始まり、今回は私の新しい作品を歌って下さる機会なのですが、私の作品についてよりも、せっかく「音楽樹」が発足したので、一人の作曲家として、日本の合唱、音楽の状況について考え、ともに今後どうして行ったらいいのか、少しだけお話しさせていただきます。
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 戦後半世紀余りたちまして、ここにいらっしゃる皆様方には、お話しする必要が無いくらい、日本の合唱が質においても量においても、世界に類例を見ないくらいに充実しているという現状があります。ヨーロッパの音楽であれば、バロックの伝統から現代のものまで、世界中の民族音楽、それから日本で生まれてくる創作作品まで、非常に高いレベルで、しかも全国津々浦々、どこにでもアマチュアの合唱団の方々のすばらしい演奏を聴き合うことができる、この活性化は大変なものだと思います。このことを考えるにあたっては、来年創立50周年を迎える全日本合唱連盟の努力が、非常に大きかったといえるでしょう。現在の日本の合唱の充実、高さ、広さというものは、おそらく全日本合唱連盟の50年間の努力の歴史と等しいのだ、これをおいて、日本の合唱について語ることはできないと思います。合唱のアマチュア活動がこれだけすごくなってきた大きな理由は、アマチュアの合唱団の方々が自分たちの歌いたい曲を自分たちの現場から生んでいこうとしてきたからだと思います。もちろんヨーロッパの楽曲や日本に昔からあった作品を歌うことは素晴らしいことで、確かに意味のあることだけれど、私たちの心、私たちの願い、私たちの夢や希望、祈り、それを日本語に委託して歌いたいという熱意が作曲家を巻き込み、1960年以降、たくさんの日本の作品を生み続けてきた、その創造の意味は大きい。作曲家もそれに触発され、あるいは新人もそこに参加するような形で、新しいたくさんの作品が我々の共有するところになる。これが合唱の歴史のなかで非常に大きな価値だったと私は実感しています。私個人についていえば1962年から合唱を書き始め、約40年になるわけですが、数えたことはありませんけれども、おそらく100を超す合唱曲を書かせていただいていると思います。
そういう私達の合唱というものを、21世紀を考えるときに大事なこととして認識したうえで、ここまで来た合唱のレベルの高さゆえに見いだすに至った課題、問題点をあげたいと思います。
 第一に、その素晴らしいアマチュア活動そのもののなかで、指向性が二つに分離してきたこと。その一つは、これは連盟のコンクールということもあるかもしれませんが、ともかくレパートリーを広げ、難しいものに挑戦し、なおかつ正確に上手にという指向性。この力は決して否定すべきことではなくて、それゆえにこそ、場合によってはプロを超えるような実力がアマチュアの中に育ってきたひとつの原動力はそこにありました。けれども同時にアマチュアリズムの原点に立って、出会い、いっしょに歌うそのことが楽しい、そういうアマチュアの喜びもある。素直な、楽しみとしての合唱を享受したいという指向性が確かにある。この二つの指向性は、ひとつの合唱団の中でもあり得るのではないでしょうか。これをどうアマチュアブームの中で統合し融合し、融和させていくのか。ひとつの力としていくために、この二つの指向性をどう考えるかというのが第一の問題です。
 第二に、おかあさんコーラスとかシルバーコーラスとか、そういう言い方で合唱団を定義していいのか。確かに自然発生的におかあさんコーラスと言われる方が便利だし、シルバーコーラスと言われるのも出てきています。けれど、おかあさんコーラスって何なんだ、音楽的にどういう意味を持っているのかということを問い直さなければいけないのではないか。例えば、連盟のコンクールでも、大学、一般、高校、職場といったカテゴリーに分けられています。確かに所属が同じ、練習場所が同じ、ということで仕分けはしやすいかもしれない。けれども、その仕分けに本当に音楽的な理由があるのか。レパートリー、歌う曲に制限がないのに、大学にいるから大学で歌いなさい、混ざっているから一般で歌いなさい。それだったら、農家の人たちの合唱団があったら、そのグループは職場なのか、それとも一般なのか。その仕分けにどんな音楽的な意味があるのかということをもう一度ここで考え直す必要があるのではないのか。
 それから第三の問題は、合唱そのものの問題ではないのかもしれないけれど、社会的、政治的、経済的、いろいろな条件が悪化してきている。合唱をやっていく条件も厳しくなっていく。今、私たちは、余暇とかゆとりとかクオリティーとか、生涯学習とかいった形で、自由に人生を充実させていこうといわれている。けれども現実には、週休2日制と言いながら企業で働いている人達は、本当に自分の時間なんて全く持つことができないくらい働かされている。先生たちの学校現場も、学校のことだけしていればいい、ということではない。いじめをはじめとするいろんな社会問題に対応し、地域や社会に対応し、本当に自分の時間を持てなくなっている。個人の家でも、子育てがものすごく難しくなっているし、福祉とか高齢者対策などについて国や自治体のケアの薄さのために、個人の家で子供を育て年寄りをお世話しながら暮らすということ自体、とても厳しくなっている。医療プログラムの破綻のツケも国民にまわされた。その狭間に合唱を一生懸命やっていこうというアマチュアの現場がある。こういったことも合唱人が自分の問題として考える必要があると思うのです。
 第四は国際問題です。日本の合唱を、世界に広めていくためには宿命的に日本語というハンディキャップがあります。これは現実の問題です。けれどもそれだけではなくて、私たちの歌っている、あるいは接している音楽が、国民的なレベルと芸術的レベルと必ずしも一致していない。今日、私たちがお迎えした外国の方々の国では、イギリスでもハンガリーでもすべての国民が、その歴史的にも、日常的にも共有されている作品をみんなで楽しみ、毎日リフレッシュしている。けれども日本の音楽は、私たち60種くらいの音楽に接しているのだけれども、国民的に歌われている演歌とかと私たちの歌う音楽の性質が違うため、私たち合唱人どんなに精緻に演奏し、外国に持っていっても、それは日本の音楽文化を代表し、表現するものではないとされる。一つの例に過ぎなくて、そこから日本の国民の音楽性を洞察したり理解することは不可能ということになるのですね。
 この四つのことから、いま私たちは、日本語の心を原点として、一人ひとりの音の言葉をそこから紡ぎ出してゆくということ、それを一人ひとりが真剣に考えなければいけないのではないかと思うのです。やはり音楽とは、器楽でもなんでも、やはり母国語というもの原点として、例えば、私たちの言葉が日本語として出てくるように、一人ひとりの、あるいはひとつひとつの作品の坑道が見いだされることが必要なのではないか。
それを歴史的に言えば、私たち日本文化の伝承から現代に受け未来につなげるもの、そして日本語という言語表現を、北はアイヌの方々から南の沖縄の方々を含めた今の日本の民俗的なレベルでの創造につなげ、共有していく必要があるのではないか。そのためには「音楽樹」は樹ですから、本当に根っこが強くなって、一人ひとりの中からそういう根を張り出していくこと。隣の人とそれが共有され、そして地域を作る。地域からまた他の地域へとそういうネットワークが結ばれて行って、それが全国に広がっていったとき、初めて日本の音楽文化として人に聴いてもらえるものが創造され、広められていくのではないかと思うわけです。
 あくまで一人の作曲家としての願いですが、ここまで充実した日本の合唱を考えるとき、こういうことをみんなで、つまり決して「音楽樹」と連盟が対立するのではなくて、もっと広い、そして新しいこれからの日本の音の言葉は何か、ということを合唱を通じて求めあっていく。そのための根を持った「音楽樹」であって欲しいし、私もその一本の根になりたい。どうか皆さん、そういう心を持ってこれからの合唱活動を展開していって下さい。合唱を愛する一人の作曲家としてのお願いです。
(Tokyo Cantat’97 オープニング・コンサート「三善晃・合唱作品の現在(いま)」における講演/1997年5月12日 なかのZEROホール)